「蒼溟翠霄」の5話目がどうにも上手くまとまらないので、別の話しに手を出しました(爆)
・・・・場面がとびとびには書けているんですが、全体の流れがきちんと出来ていないんですよ;;
ちょっと今月中に終わらせるのが難しくなってます(--;)
うう、剣道のインターハイ始まっちゃうわ(涙)

で、一年近く続きをほったらかしていた咲子とこーさんの「ボーイミーツガール」話・「予感」の最終話がここにきてちょこちょこ落ちてきていたので、書けるうちに書いてしまえ~と、書いてしまいました(^^;)

あまりの放置プレイ(爆)だったため、前2話分が少々賞味期限切れになりつつあったので、一度下げてあちこち手直しいたしました。
なので、少々長目なのですが、一気にアップします。
途中途中、休憩をはさみつつお読みいただければいいなと思います。

ではではつづきを読むからどうぞ。



祖母の開いたお茶会の帰り道、咲子は大きな溜息をついた。


それは些細な間違いだった。
幼い頃から母方の祖母のもとで茶道を習い、現在「入門」と「習事十三ヶ条」の免状を取得している咲子なら普段であればしないような間違いだった。
たとえ孫であっても稽古の際基本に厳しい祖母は、からだが自然に次に動作を出来るようになるまで、何回も何回も繰り返して教える性質だった。
ゆえに、きちんと出来なければ免状は許さない。
その許された免状を持つ咲子が、当然出来なければならないことを間違えたのだ。

「美結羽に出来て、何故お前に出来ないのかえ?」

お茶会が終ったあと、祖母にこう言われた。
実佑季は、咲子の母の双子の姉沙穂の娘で現在12歳の従妹である。
その美結羽-----杜野美結羽は、幼い頃より祖母が教えている茶道を始め華道、筝曲、日本舞踊などを習い、そのすべてを完璧にこなしていた。
昔気質の祖母はそんな美結羽がかわいくて仕方ないらしい。 そしてことあるごとに自分と美結羽をくらべたのだ。
だがそもそもは咲子の母真穂が、祖母の反対を押し切って剣の道に進み、さらには高校卒業後警察官となったことから端を発していた。
深川で代々続く老舗の呉服屋の娘が、女だてらに剣道を習うなどはしたないということらしい。
真穂にしてみれば、実家の呉服屋は姉の沙穂が継ぐと決まっていたので、自分はどのような道を選ぼうと関係のないことだと思っていた。
・・・・思っていたが、その余波は自分の子どもに及んでしまっていたのだった。

咲子は、真穂がまだ警察に勤めていた頃に出場した全日本の試合を見て、剣道を習い始めた。
真穂は咲子の妹になる栞が生まれて警察を退官したが、今でも警察道場へは稽古に通っているし、自宅では剣道を教えている。
母は厳しい師匠であったが、母に憧れ、自分もそうなりたいと必死に稽古をした。
自分よりはるかに体格のいい少年から一本取れたときなどは、実に爽快であった。
昨年は、念願の全中(全国中学生大会)に出場することが出来---結果はベスト8だったが---、二段に合格もした。
だから祖母が従妹の美結羽とくらべ、「これだから、咲子は・・・・」と言われたところで気にならなかった。
自分には、剣道があったから。

だが、近頃はその剣道があまり楽しくなくなっていた。
近所に住む10歳年の離れた妹栞のおさななじみ、土御門佑介が今年の春に入門してきてからだ。
佑介のことは、それこそよちよち歩きの頃から知っていた。栞とよく遊んでいるので二人まとめて面倒も見ていた。
自分に弟がいたら、こうなのかな・・・などと思いながら。
佑介が入門してきたのは、おさななじみの親が開いている道場だからというのもあったが彼には見えざるものが見え聞かざるものが聞こえるというような特殊な能力を持ち、それゆえらしいのだ。
そしてその力に負けないように、こころもからだも強くなれるようにと佑介の母小都子が、友人の真穂に託したのだ。

もともとの素質がよかったのだろうか、佑介はぐんぐん伸びた。
勘もよく、どんな相手にも臆せずひるまない勇気を持っていた。
そんな佑介を、真穂だけではなく八段という高位段者の祖父の綱寛までもがその才能に目を見張った。
自分にはけしてやらせてくれなかった居合まで教え始めたのだ。
咲子には面白くなかった。
綱寛は全中に出たときでさえ、褒めてはくれなかった。
あの真穂と今は競技剣道からはなれてしまったが、大学生の頃は国体にも出場した直哉(なおや)の娘であるのだから当然だとでも思っていたのかもしれない。
誰かに褒めて欲しくて剣道を習ってきたわけではなかったが、むなしくなってしまっていた。
こんなもやもやした気持ちのまま剣道は続けられない。
剣には、自身の心構えがしっかり出てしまうのだ。

そんななかでの今日のお茶会だった。
祖母は美結羽をかわいがり、褒める。
咲子とくらべながら。
咲子は、自分の存在意義がわからなくなっていた。


(あれ?ここどこだろう。来た時にはこんな風景見ていないはず)

考え事をしながら歩いていたので、どうやら駅へ行くために曲がる道を一本間違えてそのままかなり歩いてしまっていたようだ。
何か場所がわかるような表示がないかと、あたりをきょろきょろ見回した。

・・・ふと、遠くから笛の音が聴こえてきた。
咲子は駅を探さなくてはいけないと思いながらも、笛の音のする方へ引かれるようにふらふらと歩いていった。

しばらく歩いていくと、音は段々大きく聴こえ、多くのひとの気配も感じた。
さらに進むと、目の前がぱっと開けた。
鳥居が見え、そこには神社があった。どうやらお祭りの真っ最中のようで、笛の音はここから聞こえていたのだ。

「あたったぞ」

何があたったというのだろうか。
わあっと言う歓声。
咲子は足早に神社のなかへ入っていった。
神社の中は人がごった返していたが、人垣を必死で抜けていった。
そこには・・・・。

白い袴をはき、おなじく白の着物の片袖を脱いで矢を構えるひとりの少年が立っていた。
・・・いや、よくよく見ると少年というよりは、青年というような大人びた印象を受けた。
立ち姿がすらりと美しく凛としていた。
視線を真っ直ぐ的へ向け、きゅっと弦を引き、矢を放つ。矢は少し孤を描きながら、10数メートル先の的へ見事にささった。

(きれい)

矢を放ったあとの「残心」の姿にしばし見とれた。
なんて美しいのだろう。
咲子は心からそう思った。

残心の形を解き、その少年は弓を呼吸に合わせて倒し、物見を静かにもどして足を閉じ、それからすっと下がっていった。
咲子はその全ての動作、彼の落ち着いたたたずまい、一挙手一投足に心を奪われていった。
どこの誰なんだろうか、あの矢を射た少年は。
気になって仕方がなかった。
目に焼きついて、まぶたの裏を離れなかった。


咲子は祭りが終るまで神社に残り、宮司に先ほどの神事を見て自分も弓道を習ってみたいと思ったので、この近くに弓道場があるのなら教えてほしいと尋ねた。そして、もしも出来ることなら、その神事で弓を射た少年が通っている道場と同じところがいいとも。
宮司はにこりと笑い、「ついていらっしゃい」と咲子を本殿の裏手の方にいざなった。
いざなわれた先に見えた古くて厳めしい建物こそが、その少年の通う弓道場であったのだ。
それから細々としたことを尋ねているうちにすっかり日が暮れて、家に帰るのが遅くなってしまい、母の真穂から大目玉をくらったのだった。



数日後、咲子は宮司に教えられた弓道場の入り口に立っていた。
今日は剣道の稽古がない日だったので、友人の佐藤泉の家へ遊びに行ってくると真穂に言い置き、学校から帰るなりここへ来たのだ。

(・・・・彼に会えるかな)

道場を眺めながら、ふと思う。
彼の名は星野絋次(ほしのこうじ)といい、宮司の友人の孫息子だと聞いた。
咲子が偶然見たあの神事は、古くからこの神社で行われていたもので、12歳から18歳くらいまでの所謂元服前の少年が弓を射ることになっていた。
代々氏子の子供達が務めていたのだが、三年ほど前に途切れ、どうしようかと宮司が友人に相談を持ちかけたところ、自分の孫が年回り的にも合いそうだからと絋次を推薦したのだ。
絋次は特に文句も言わず弓道を習い始め、以来毎年、神事でのその役を引き受けていた。
そして、弓道の実力も今年全中で三位入賞したほどなのだ。


「そこのお嬢さんは、こちらには初めて来たのですか?」
入り口で中へ入ろうか逡巡している咲子に、誰かが声をかけてきた。
「は、はい!」
咲子はあわてて声のほうへ振り向いた。
父親の直哉よりもう少し年齢が上であろう、物腰が上品で柔和な顔をしている男性が立っていた。
「高校生・・・・、いや中学生ですか。ひとりでいらしたのかな」
「はい。・・・・わたしは今中学3年生で、弓道に興味を持ったのでどんなお稽古をするのか、見学させていただきたいと思ってこちらへ伺いました」
男性は目をほんの少し見開き、おやという表情をした。
「そうですか。じゃあ、私に付いて来てください」
にこりと微笑む。
「そうそう、私は都竹 忍(つづき しのぶ)と申します。どうぞよろしく」
「あ、わたしは草壁咲子です。よろしくお願いいたします」
咲子はぺこりと頭を下げ、その男性----都竹 忍のあとに付いて中へ入っていた。
もしかしたら、あの少年に会えるかもしれないと思いながら。


「都竹さんたら、かわいいお嬢さんつれてどうしたの?」
「見学をしたいんだそうですよ。弓道に興味があるからと」
中へ入ると様々な年代の人が稽古をしていた。
「まあ、それは嬉しいわね。どうぞ、気楽に見学していってね」
「ありがとうございます」
咲子は声をかけてきた女性に会釈をし、都竹のうしろに従う。

(今時めずらしいくらいに礼儀がきちんとしている子ですね)

ふと都竹は思う。
咲子としては幼い時から剣道と茶道を習い、それらの所作が身に着いているので自然とそうしているに過ぎなかったのだが。
「それではここに座って見ていてもらえますか。帰りたくなったら一声かけてくれればいいですから。ただし、静かな声でお願いしますね」
「わかりました。どうもありがとうございました。どうぞ、お稽古なさってください」
咲子は都竹にむかい深々と一礼し、「失礼します」と言って、都竹に示された場所にすっと座った。

(これは・・・・)

咲子のここまで歩いてきた足捌きと正座に至る一連の動作を見て都竹は確信した。
「草壁さん」
「はい」
射場の方へ視線を巡らせていた咲子は都竹のほうへ向き直った。
「君は何か、武道を習っていませんか?」
自分では普通にしているつもりなのだが、やはりどこか違うのだろうか。咲子はよくこう聞かれることがあるのだ。
「・・・・剣道を少し」
そう言う咲子に都竹はにっこり笑い。
「そうですか。・・・・でも少しではないのでは?すっすっと流れるような足捌きはそう簡単に取得出来るものではありませんよ」
「・・・・」
咲子は十年以上剣道を習っていると言っていいのかどうか悩んだ。
「それに実に姿勢がいいです。・・・・他に習い事をしていても、誰も咎めませんよ」
都竹はなおも言い募る。咲子は覚悟を決めた。
「あの、剣道は5歳の時から習っています。あとは茶道と・・・・」
「やはりそうでしたか」
「え?」
「入り口で会った時から、実に礼儀正しく姿勢のいいお嬢さんだと思っていたんですよ」
都竹はにこにこと笑っている。
「ありがとうございます」
「剣道から弓道に来る人はそんなに多くありませんが、君はきっと伸びますよ」
「そう言っていただけるのは嬉しいですが・・・・」
「私は確信のないことは言いません。ぜひ、弓道を始めていただきたいです」
咲子の戸惑いを吹き飛ばすかのように、都竹はきっぱりと咲子に告げる。
「都竹さん、そちらのお嬢さん面くらっちゃってるわよ」
「星野くんの時といい、見所ありそうな子にはほんと熱くなっちゃうんだから。いつもは“ぬらりひょん”なくせして」
「“ぬらりひょん”はやめてくださいって言ったでしょう」
咲子にはかしましいおばさまがたと都竹の会話は頭の上を通り過ぎていた。
『星野くん』という単語のみが心の中を反芻していた。
「あの、星野くんって・・・・」
会話の隙をぬって、咲子は尋ねてみた。
「週に2回ほど練習に来る子でね。上手な子なのよ」
「そうそう。都竹さんが手取り足取り教えててねえ」
「・・・・・その言い方、なにか引っかかるんですが」
「気のせいよ」
「まあ、いいです。星野くんは草壁さんと同じ中学3年の男の子で、こちらの熟女の皆さんがおっしゃるようにとても上手な子です。今年の全中で3位になりましたよ」

彼だ。
あの神社で弓を射た『星野絋次』くんだ。

咲子の表情がぱあっと華やいだ。
「・・・・おや。星野くんをご存知ですか?」
都竹はなかなか目ざとかった。
「いえ、あの。・・・・神社で見て・・・・」
咲子の声は自然と小さくなった。
「ああ!あの祭礼のですね。じゃあ、彼の上手さはわかりますよね」
「はい。とても上手でした」
うんうんと都竹はうなづく。
「じゃあ、草壁さんはもしかして、星野くんに憧れて弓道をやってみようと思ったのですか?」
「!」
図星であった。
咲子の顔が見る見る赤くなる。
「都竹さんたら~。純情可憐な乙女をからかっちゃだめよ」
「そうそう。こんなに真っ赤になっちゃって」
咲子は、恥ずかしさのあまり俯いてしまった。
「からかったわけじゃありませんよ」
「はい、その、大丈夫です」
「気丈ですねえ。・・・・その気丈さに免じて、星野くんにこのことは絶対言わないでおきましょう。みなさんもそのおつもりで」
と、おばさま方を見る都竹。
「もちろんよ。私たちは女の子の味方だもの」
「そうそう。・・・だから安心して」
咲子の顔を覗き込み、優しく笑った。
「ありがとうございます」
今日初めて会ったばかりだが、みんな楽しくて優しくて素敵な人たちばかりだ。
咲子はここで弓道を習うことに決めたのだった。



咲子が弓道場に通い始めて1ヶ月あまりが過ぎようとしていた。
この弓道場は敷地内の神社の宮司が管理をしていたので毎日開いており、都合の良い曜日にあわせて自由に稽古が出来るのであった。


「・・・・彼は火曜と木曜しか来られないんですか」
「ええ」

咲子を弓道へと引き込んだ少年・・・・星野絋次にはなかなか会うことが出来ずにいたので、咲子は思い切って都竹に絋次が何曜日に稽古に来ているのか尋ねた。
絋次は、火曜日と木曜日を稽古にあてていたのだ。
「それじゃ・・・」
会うことが出来ないという言葉を飲み込んだ。
火曜日は母親の真穂が地元の警察署の道場へ出稽古に行く日に当たっており、夕食の支度を任されている。10歳離れた幼い妹がいるので自分まで出かけてしまうわけにはいかなかった。
そして木曜日は茶道の稽古日だった。
同じ深川に来るのだが、まったくの反対方向だし、祖母の迪子(みちこ)は薄茶も濃茶もさらには炭手前もすべて必ずさせるので、終わったあとに弓道の方へ行くのはかなり難しかった。
絋次の弓を射る姿がまた見たくて(もちろんそれ以外にも理由はあるのだが)、芝からわざわざここまで通ってきているのに。
咲子の表情に落胆の色が浮ぶ。
そんな咲子の様子を見て。
「同じ高校に進学すれば会えますよ」
咲子が絋次に惹かれていることを都竹はわかっていたから、さらりとそんなことを言った。
「ふたりとも中学3年生なんですから。・・・・ちなみに、星野くんの志望校は大橋高校です」
にこっと都竹は笑う。
「大橋、ですか」
大橋高校はトップクラスの都立高校で、桜谷高校・百葉高校と並ぶ「都立御三家」のひとつ。偏差値は72だった。

(・・・・頭、いいんだ)

桜谷や大橋を受験するには学年で10番以内には必ず入っていないとまず無理といえた。咲子とて成績はけして悪い法ではなかったが、これらの高校の受験を考えたことは一度もなかった。

深川の祖母からは、中学へあがるときに「友達と別れたくないから」と理由をつけて受験しなかった翠嵐女子への進学を希望されていたが、咲子にその気は皆無だった。

(学校でまで実佑季と比べられるのは真っ平だもの)

咲子が深川の迪子と上手く行かない原因のひとつとも言える、従妹の実佑季の存在。
実佑季本人は素直な性格のおとなしいいい子なのだが、迪子がやたらひいきし咲子と比べるので、どうにも気持ちよく実佑季に向き合えないのだ。
母の真穂も翠嵐への進学は難色を示していたし、咲子としては家から徒歩で通える朱雀高校を受験するつもりでいたのだ。

「弓道部もなかなか強いですよ。以前ここで練習をしていた子たちも通ってますしね。歴史のあるいい高校です」
咲子の沈黙を都竹はどう受け取ったのか。
それ以上は言わず、稽古を始めるようにうながしたのだった。


稽古から帰る地下鉄の車内で咲子はあれこれ考えていた。
もうすぐ11月になる。どこの高校に進学するのか決めないといけない時期だ。冷静な目で見ても、咲子の今の成績では大橋に合格出来る確立は70%を切るだろう。
大橋を受験したいと言えばまず学校の担任は反対するに決まっている。父や母は反対はしないだろうが、何故朱雀じゃだめなのかと質問してくるにちがいない。朱雀なら合格圏内だし、何より家から近いのだ。

進学のことだけでなく、剣道をやめたいと思っていることも言わないといけなかった。
弓道を習い始めたこともだ。
幸い弓道場は深川にあるので、曾祖母の伊佐子(いさこ)にだけは打ち明けて、伊佐子のもとへ来ていることにしてもらっていた。
だがずっとそのままでいけないことは、咲子もちゃんとわかっている。
それにまだ習い始めて1ヶ月ほどだから、特に自分専用の道着も弓も矢もいらないが、いずれは必要になり、月謝はこれまでの貯金とお小遣いで賄えても、それらはどう考えても無理なのは目に見えていた。

進学のことと剣道と弓道のこと。
上手く両親に伝えられるのだろうか。
咲子は深い溜息をついた。



「咲子。久しぶりに僕と稽古をしないかい?」
火曜日の今日は、母が警察署に出稽古の日だ。咲子が夕食を作る日でもある。
特別日課で通常より早く学校から帰ってきていたので、そうそうに支度を終え居間で明日の授業の予習をしていた。妹の栞は幼馴染の佑介のところへ遊びに行っており、帰りは佑介が送ってくるであろうから、迎えにいく必要はなかった。
「お父さんと?」
父の直哉は百貨店に勤務しているためか、平日が休みにあたる場合もあった。
「そう。・・・・今日はずっと本を読んでいたから、そろそろからだを動かしたくなったんだよ。つきあってくれると嬉しいね」
そう言ってにっこりと笑った。

大学生の時にアキレス腱断裂の怪我をし、以来競技剣道から離れた直哉は道場を妻の真穂に任せて、普段は会社勤めをしている。自分の休みと尚壽館での稽古日があえば、道場に出て真穂の手伝いをするのが常だった。
直哉が咲子に稽古をつけることは滅多になかった。咲子が真穂の勇姿に憧れて剣道を習い始めたことをわかっているから。
だが咲子の剣道のスタイルは、憧れである母の真穂よりも父親の直哉に似ていた。


「・・・・咲子の剣には迷いがあるね」
一連の稽古を終え、籠手と面をはずしている咲子に向かって直哉は言った。
剣にはおのれのこころの有様がすべて現れてしまう。
悩みや迷いなど、そのすべてが。
「こころの揺らぎが手に取るようにわかってしまうよ。・・・・・何に迷っているのかな」
すべてを見透かすような瞳を向けて、穏やかに話しかける直哉。
「・・・・・」
「お父さんには言えないかい?」
ふるふると咲子は首をふる。
「話したくないことなら無理に話さなくてもいい。でも、今のままでいたら取り返しのつかない怪我をすることになるよ」
「・・・・」
直哉が競技剣道から退いたのは何故か。
勝つということに対しそれほど執着心のなかった直哉だが、やはり第一線で実力者と剣を交える緊張感は時々恋しく思ったものだ。
「僕は、出来る事なら咲子にそういう気持は味わってほしくないからね。迷いがあるなら立ち止まって休んだっていい。・・・・回り道をしたっていいんだよ」
「お父さん・・・・」
直哉の言葉が咲子の心に響く。

立ち止まって休んでもいい。回り道をしたっていい。
・・・・そう、今は剣道から離れてもいいのだ。
一度その手の竹刀を置いて、またふたたび戻りたくなったら、一から始めればいいだけだ。

「・・・・わたし、剣道をやめたいの」
もう、咲子の瞳に迷いはなかった。


母は多くを聞かず言わなかった。
咲子が剣道をやめたいと言った時、切れ長の美しい瞳を一瞬見開いたけど、咲子が自分で決めたことなら何も言うことはないと告げたのみだった。

とはいえ大橋高校を受験することについては、やはりどうして朱雀じゃだめなのかと聞かれたが、楽なところで安心したくないし(朱雀ならよほどのことがない限り合格は確実なので)、とにかく絶対合格してみせるからと細かいことはいちいち言わずにきっぱり言い切った。
直哉も真穂も娘が一度言い出したらきかない頑固者なのは重々承知の上であるから、溜息をつきつつも頷くしかなかった。
ただし。
「あらためて家庭教師だの塾の時間を増やすだのはしないわよ。工夫して受験勉強しなさい」
と釘は刺された。

弓道のことはなかなか言い出せずにいた。
曾祖母の伊佐子からは「いつまでも黙っているとロクなことがありゃしないよ」と忠告されていたのだが、結局咲子が自分の口から言う前にばれてしまったのだ。

その日、咲子は風邪をひいて熱を出し、弓道の稽古に行かれなかった。
何か用事などがあり稽古を休む際は必ず連絡をしていたので、都竹が心配をして電話をかけてきた。
都竹にすれば、とっくに両親には話しているだろうと思っていた。
電話を受けた真穂は一瞬動揺はしたものの、咲子の頻繁な深川通いの謎が解けてほっとしたものだった。
いくら伊佐子と仲がいいとはいえ、茶道の稽古のほかに週に二回も深川へ行ってるのはおかしいと思っていたからだ。

部屋で寝ていた咲子に。
「・・・・都竹さんがお大事にって」
にこっと笑って真穂は告げる。
咲子は瞳を見開き、ちょっと考え込んで。
「・・・・・ごめんなさい」
と一言。
母にはもうなにもかもわかってしまったであろうから、それ以上言う必要がなかった。
真穂はベッドの端にそっと座り、ばつの悪そうな咲子の頬に手をそえる。
「ばかねえ。何も怒りはしないんだから早く言い出せばよかったのに」
「だって・・・・・」
「黙っていられる方が不安なのよ。ちゃんといいなさいね」
「お母さん・・・・・」
「わかった?」
「・・・・・はい」
あれこれと深く追求してこない母の気持ちが有り難かった。
そんな母の真穂であったが、高校に入学しある人物が家に来るようになって(咲子が来いと言ったわけではないのだが)、やっと何故咲子が弓道を選んだのか納得することになる。


咲子は『星野絋次』に稽古で会えないままに受験シーズンに入り、そして中学の担任はかなり驚いたが無事大橋高校に合格し、卒業を迎えた。
都竹からは絋次も大橋に合格したことを教えられ、
「高校に行けばきっと会えますよ。弓道部に入部するって言ったましたからね」
と意味深な笑みを浮べながら告げられた。


そしてその言葉通りに弓道部の部室の前でふたりは出会った。


春、4月。
早速弓道部に入部すべく、咲子は放課後部室のある建物へ急いだ。
目的の部室の前でたたずむ端正な横顔。
つい1ヶ月ほど前まで中学生だったとは思えないくらい大人びている。
咲子にはすぐわかった。
------彼だと。
神社でその姿を目に捉えた時も、少年というより青年という印象を受けたのだ。
どきどきと逸る心臓。
「あなたも弓道部へ?」
一呼吸おいて、思いきって声をかけてみた。
が。
「・・・・ここにきているんだから、そうに決まってる」
返答は実に素っ気なくぶっきらぼうで、面倒くさそうであった。
さらにどこか見下すように一瞥され、咲子はカチンときた。
確かにその通りではあるが、言い方ってものがあるだろう。
「それは悪かったわね。・・・・もう少し口のききかたに気をつけた方がいいんじゃない」
売られた喧嘩は買う主義だ。
今度は相手がむっときたようだ。
「・・・・余計なお世話だ」
もともと低めの声であるようだが、さらに低くして視線をはずさずに、咲子を睨みつけながら言う。
だが、この程度で引く咲子ではないのだ。
強い意志のこもった瞳で睨み返し、言い返そうと口を開きかけたところで、部室の扉が開いた。
「こら、新入生!そんなところで喧嘩をし始めるな」
ふたりはその声に同時に振り返った。
中から現れたのは、切れ長の目元涼やかなイケメンだ。
「入部希望でそこにいるんだよな?」
「はい」
咲子は声に出して返事をし、もうひとりはかるく頷く。
「それは重畳。俺は部長の倉田 臣(くらた おみ)だ。よろしくな。・・・・で、おまえらのクラスと名前は?」
くだけた口調だが、不快な気分にさせない雰囲気を持っていた。
「1-Bの草壁咲子です」
「・・・・・A組の星野です」
やっぱりそうだった。
この無愛想でいけすかない男があの「星野絋次」なのだと。
がっかりはしなかったが、先ほどのあまりな態度にこころの中でそっと育んできた絋次に対する憧れの想いを、咲子はきつく封じ込めた。
絋次の態度は、初対面の人間に対して・・・というか、草壁咲子に対してはまずすぎたのだ。
咲子は威嚇するような視線をぶつけられて黙っているような人間ではなかったのだから。

「臣。星野くんって、あの星野くんかしらね?」
「だと思うぞ」
奥からひょっこりともうひとり現れた。眼鏡が良く似合うショートへアの快活な感じの女性だ。
「私は副部長の水無月綾(みなづき あや)よ。・・・・ま、入部届を書いてもらって、練習に来てもらえればすぐにわかることよね」
「そうそう」
臣は絋次に視線をめぐらせ、それから綾と顔を見合わせ頷いた。

「なにはともあれ、ようこそ弓道部へ」
にっこりと綾は笑った。



咲子と絋次、ふたりのはじまりこんなふうだったのだ


瑞穂・咲子&絋次(高校生)(高校生のふたりです)

2009.07.28
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